『シェルショック』は通し稽古に入りました。

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『シェルショック』は、座っているシーンの多い舞台なので、動きが制約されます。より台詞で状況を事細かに表現し、その表情、一挙手一投足が途切れなく「役」を演じていなければなりません。

「24」という大ヒットアメリカドラマがありますが、あの手のつくりの醍醐味は、「リアルタイム」で物語が進行することにあります。ドラマは劇的な場面の連続とは限りません。せっかちな現代人は、ドラマが起こるその過程を感じるより、摩擦や化学変化そのものだけを抽出したがる傾向にあります。これは演劇にとっては厄介なことです。なぜなら舞台の中央で、あるいは片隅で起こる「見どころ」を、観客は自分の力で切り取らねばなりません。
シェルショック稽古2
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その流れの中で、「24」のように、経過そのものがドラマなのだと言える作りが演劇の原点でもあります。『シェルショック』はまさにその経過の中にたくさんのドキュメンタリーと、サスペンスがつまっています。

戯曲がすべて、である。しかし戯曲には文字になっていない部分が存在します。それが目に見えない「行間」です。ここが演劇そのものといっても過言ではありません。
シェルショック稽古6
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私たちの舞台づくりは決して派手ではありませんが、そこに重きを置いています。人間は言葉を発するとき、なにかの衝動に突き動かされているのです。それは気温であったり、においであったり、相手との距離であったり、相手の言葉に対する心の動きであったり。舞台の上では日常起こりうる衝動をやや大きく捉えて、言葉を発したり動いたりします。決して面白く見せるため、とかこう見せたいという出演者のエゴから生まれたものでは観客の心どころか、相手役の台詞を引き出す動機にすらなりません。

難しいことを書きましたが、稽古場は至って明るいい雰囲気です。(こんなシーンはありません!)
シェルショック稽古1
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もちろん言葉に関してや、時代背景などについては頭をつき合わせて話し合います。稽古の半分はそうしたことに費やしてきました。

今日からは通し稽古。「行間を読ん」で積み上げてきたことが、きちんと連続した個人の行動として成立しているか、破綻はないかをチェックするのです。

舞台に出ずっぱりなウェイター、板橋氏は今回大きな課題を背負っています。それは出ずっぱりにも関わらず台詞をほとんど発しないということ。これこそ俳優としての技量が問われるところ。自由は最大の足かせ。他の人物たちに影響されることからしか芝居は生まれないのですから。

シェルショック稽古2
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次回は『シェルショック』メンバーを紹介します。