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本読み稽古を終え、『ペール・ギュント』は立ち稽古に入りました。
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今回は起伏の多い舞台装置の上を、俳優と音楽家が入り乱れながら劇が進んでいきますので、動きの確認、いわゆるミザン・セーヌが非常に重要になります。

机を離れて、実際に舞台の上で動いてみると、いつ、どこで、誰と会い、その場には誰がいるのかといったことがより明確になり、この『ペール・ギュント』の持つ顔が浮かび上がってくるようです。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、『ペール・ギュント』はイプセンの作品の中でも一風変わった性格を持った戯曲です。
ヘンリック・イプセンといえば、まず近代演劇の祖と呼ばれ、生涯を通して徐々に作風を変遷させながら、晩年には象徴主義的な戯曲をも生み出した作家ですが、基本的には台詞を基調としたリアリスティックな作品を想起される方が多いかと思います。

ところが、この『ペール・ギュント』はペールの波乱万丈人生をものすごいスピードで描いた大冒険活劇とも取れるような作品で、登場人物たちは必ずしもリアルな人間だけではありません。それどころか・・・まあ、詳しくは劇場で。

ともかく、個性豊かな登場人物を個性豊かな俳優たちが演じるわけです。


一応、私も俳優の端くれですから、この言葉を書くたびに聞くたびに話すたびに、考えざるをえません。


個性とは何か?
演劇における個性とは何か?


さすがに、奇妙キテレツなことをすると個性的、という風には考えられない年齢になってきました。


個性について考える場合にいつも思い浮かぶのは、ずいぶん昔の本ですが、外山滋比古氏の『思考の整理学』にある、「触媒」というタイトルの小論です。有名な本なので、お読みになった方も多いのではないでしょうか。

氏はその論で個性の役割を語る中、T・S・エリオットの有名な比喩を引用します。


「詩の創造に際して起こるのは、酸素と二酸化炭素〈亜硫酸ガス〉とのあるところへ、プラチナのフィラメントを入れたときに起る化学反応に似ている」


私は文系の人生を歩んできましたので、亜硫酸というのがどんな歌手ユニットなのか、フィラメントというのはどんな味のメントスなのか知りませんが、外山氏によると、こういうことだそうです。


「酸素と亜硫酸ガスを一緒にしただけでは化合はおこらない。そこへプラチナを入れると、化学反応がおこる。ところが、その結果の化合物の中にはプラチナは入っていない。プラチナは完全に中立的に、化合に立ち会い、化合をおこしただけである。
 詩人の個性もこのプラチナのごとくあるべきで、それ自体を表現するのではない。その個性が立ち会わなければ決して化合しないようなものを、化合させるところで、”個性的”でありうる。」


これは詩だけではなく、演劇の場合にも言えることでしょう。

俳優が、音楽家と戯曲の触媒となって『ペール・ギュント』という化合物をつくる。
音楽家は、俳優と戯曲の触媒となって『ペール・ギュント』という化合物をつくる。

さらに細かく言えば、俳優Aは俳優BとCをつなぐ触媒となり、俳優Bは俳優AとDをつなぐ触媒となるような、そういった個性の繋がり方が理想的なのではないでしょうか。

詩や化学と違うのは、結果としてできた化合物にその俳優が入っていないということはないという点です。そしてここに、演劇の演劇たる所以があります。

この問題については、また機を改めて・・・(松山)