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衣裳や小道具が揃ってくると、劇はぐっと変わってきます。

それまでノートの切れ端だったものが実際の写真や手紙になり、それまでジャージだったものがモンペやスラックスになることで、俳優は想像以上に大きく影響を受けるのです。

演技には、自分の意思で変えたり調節したりできる部分と、できない部分というものがあります。

たとえば、ノートの切れ端を名刺のつもりで読むことはできます。
しかし、実際の名刺を読むときと同じような視線の動き方をするのは難しい。
ジャージのままスーツを着たときの動きをするのは難しい。
手ぶらのまま重いリュックを背負っているような動作をするのは難しい。

そして、心理というのはそういった身体運動の結果として現れるものですから、自分の手が届かないことには、小道具や衣裳によって外から刺激を与えていく必要があります。
心理は操ることができるものですが、身体を通して間接的にしか操ることができないのが面倒なところ。


「なくても想像してできるのが俳優だ」という説もありますし、それを実際にやってのける名優もいます。
「想像力とかそういう問題じゃなくて、本物を使えばそれでいいじゃない」という考え方もあります。

この「想像力」にどこまで責任を負わせていいのかというのは、長年演技論の謎として君臨し続けている大問題で、俳優たちは少なく見積もっても100年くらいこのことでモメています。


どうにも解決しそうにないので、僕の場合は

「あってもなくても、うまくいけばどっちでもいい」

と考えるようにしています。
また、戯曲のタイプによって、実際の小道具や衣裳を使うべきかそうでないかを判断する必要もあるでしょう。


この「うまくいけば」というのは、言うまでもなく、客席から見たときに説得力を持っているかどうかということです。


どこかへ旅行でも行くのかというほどの小道具や衣裳をそれぞれに抱えて、我々は今日も稽古場へ向かいます。