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立ち稽古は試行錯誤をくり返しつつも、一歩一歩進んでいます。
今回はサスペンスものであるため、劇の内容に触れられないのが非常にもどかしいところですが、そこのところは本番までお楽しみということで。


立ち稽古は、まず人数の多い場面を先に作っていくことになりました。
いわゆる「群衆場面」。
「群衆」というほど人数は多くありませんが、ともかく舞台上に大人数が同時に登場する場面です。


舞台上に二人や三人、あるいは一人しか俳優がいないときの緊張感というのも劇場の醍醐味ですが、大勢が一斉に出てくる場面では、それとは比べものにならないエネルギーをお楽しみいただくことができます。

やる方としても、大勢の場面では少し異なる技術や気の持ち方というのが必要になってきます。
全体として統率が取れているのがひとつ。
もうひとつは、群衆を構成する一人一人の人物像がきちんと作りこまれているかどうかという点です。


よく、役には大きいも小さいもない、といったことが言われます。
が、実際に役が決まるときに「おお」と思ったり「あーあ」と思ったりする俳優がいるのも事実です。
そんな風に考えるやつは俳優やめちまえ、などというと、世の中に俳優がいなくなってしまいます。


役の大小というのは、戯曲中にある登場人物についての情報量の差によって分かれることが多いようです。情報の多くは台詞の中に含まれていますから、台詞が多ければそれだけ人物を読み解くヒントも多いわけです。

ハムレットやジミー・ポーターのように、情報が多すぎて逆にとらえどころのない人物である場合もありますが。


ところが、「衛兵A」や、ト書きに「町の人たち」などと書かれているだけの場合は、名前すら台本から読み取ることができません。
その場合は、自分でその人物の背景や性格、他の人物との関係などを作り上げる必要が出てきます。
その手間をかけるかどうかが群衆場面の成否を分けるカギとなるのですが、役を小とするか大とするかは、このあたりで決まってくるのではないでしょうか。


実際、群衆場面の出来不出来で、ある程度その劇団や団体の力量というのは判別がつくものです。
群衆場面で類型的な人物が出てきてしまうのは、俳優がその人物を「端役」ととらえていることの表れで、ひいては人間をどう見ているかという問題へつながってきます。


DRPの俳優はどうでしょうか。
それは、劇場でお確かめ下さい。